長きにわたりヤマトの第一艦橋を支えた“三羽ガラス”の一人。大食漢で知られる経験豊富な士官。第65護衛隊時代は戦闘空母ヒュウガの操縦桿を握った。 同護衛隊再編後は第21航空群基地へ配属。地上勤務の傍ら、南部康雄に協力し、相原義一と共に軍内部、政界、財界に潜むデザリアム内通者の噂を追っていた。