「イスカンダル事変」後、帰還したヤマトは参戦章叙勲の運びとなった。これは、地球の戦艦として唯一、ガミラス、ガトランティス、デザリアムという異なる三つの相手と交戦し、多大な戦果を挙げ、無事帰還したことを記念するものだった。
地球政府は宇宙戦艦ヤマトの叙勲式典参加にあたり、参戦章として主砲・副砲各砲身先端へ三本の線を施し、戦隊各部へ勲章をモチーフとした錨マークを与えた。この錨マークは宇宙海軍の徽章に参戦章叙勲の意味をとして三つの輪を加えたものとして作成され、ヤマトマーク (ヤマト徽章) とも呼称される。
ヤマトを記念艦とする話はイスカンダルからの帰還後にも出ていたが、波動砲艦隊構想の下で波動砲の再装備をはじめとする改装が行われ、ガトランティス戦役終結後も銀河間航海艦隊の旗艦を想定した改装が行われるなど、現役艦としての運用が続いていた。叙勲はヤマトの功績を讃えると同時に、これを以てヤマトに第一線を退かせるというものだった。ヤマトは予備役艦隊に編入され、その後、各種テストに用いられる予定だった。
ただし、「イスカンダル事変」後、地球へ帰還した第65護衛隊は解体、隊員は更迭され、防衛軍各方面へ異動となっていた。軍公式はこの人事を2206年度に向けた組織変更の一環としたが、「イスカンダル事変」における独断専行が問題視されたためと見る向きも多かった。
こうした経緯からヤマト叙勲の式典は乗員であった旧第65護衛隊隊員が立ち会わないままに執り行われるという異例のものとなった。
一説にはデザリアムの地球侵攻の可能性から藤堂長官がヤマトの秘匿を考え、その前段階としてヤマトを予備役艦隊に移すことが目的であったともいわれる。事実、軍書類においてヤマトは予備役艦隊に編入後、訓練航海への出航とあるものの、2207年10月時点、その後の記載はない。
これを容れるならば、構成員の異動もヤマト秘匿の一環で、藤堂の指示のもとに行われたと考えられる。